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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)7139号 判決

原告

富家トシ予

被告

八尾交通株式会社

ほか一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

一、被告らは原告に対し各自金五、九九〇、六〇六円およびこれに対する訴状送達の翌日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、訴訟費用は、被告らの負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第三、請求の原因

一、事故発生

(一)  発生時 昭和三四年一月一日午前九時頃

(二)  発生地 八尾市近鉄八尾駅前

(三)  事故車 営業用普通乗用自動車

運転者 被告久則吉

(四)  被害者 原告(同乗中)

(五)  態様

原告が事故現場被告八尾交通株式会社(以下被告会社という)専用タクシー乗り場で被告久則吉運転の事故車に乗車したところ、被告久において後部扉を閉めることなく事故車を発進させ且つ事故車を急に一八〇度転回したため、車内に降り込む雨を防ぐため、扉を閉めようと身を乗り出した原告がその頭部を扉と車体との間に狭み、前額部と後頭部を強打したもの

(六)  傷害

両側慢性副鼻腔炎、外傷性神経症

二、責任原因

(一)  被告会社は、その従業員である被告久が被告会社の業務を執行中、後記過失により、本件事故を発生させたものである。

(二)  被告久は、後記の過失により、本件事故を発生させたものである。

(三)  被告久の過失

後部扉を閉めることなく発進。急に一八〇度の転回

三、損害

(一)  休業損害

(休業期間)

事故時(昭和三四年一月一日)より昭和四三年八月末日まで一一六ケ月間。

(事故時の収入)

原告は、和裁教師として常時一〇人以上の弟子を教え、毎月金五、〇〇〇円の教授料を受け、また、近所の呉服店の和裁仕立を請負つて毎月金一五、〇〇〇円の仕立料を得ていたので、毎月合計金二〇、〇〇〇円の収入があつた。

従つて、その間の休業による得べかりし利益額は金二、三二〇、〇〇〇円(二〇、〇〇〇×一一六)となる。

(二)  逸失利益

原告は、昭和四三年九月初旬頃より再び和裁仕立を請負うようになつたが、本件事故による病状が完治せず、労働能力が低下している。

(収益)

事故前は一ケ月平均三五着の仕立ができ、昭和四三年九月現在での仕立料の相場からすれば、月額少くとも四五、〇〇〇円の収益が得られる。

(稼働可能年数)

昭和四三年九月現在満五一才であるから、六〇才まで一〇八ケ月は稼働しうる。

(労働能力の低下)

事故前の三分の一程度の能力しかなく、三分の二の低下となる。

(中間利息控除)

ホフマン式月別計算による。係数は八九、〇二〇二

(逸失利益の現価)

45,000×2/3×89.0202=2,670,606

従つて、金二、六七〇、六〇六円の得べかりしの利益を失つた。

四、慰藉料 金一、〇〇〇、〇〇〇円

本件事故による傷害は、治療を受けるも完治せず、事故後、常時頭痛に悩まされ、食欲不振、健忘症となり、ついには精神異常まで来たすに至つた。一方、被告久は、事故直後、病院に原告を運んで応急手当を受けさせた後、改めて見舞に来るといつて、住所も名前も告げずに立去り、警察に事故申告もしなかつたため、原告は爾来約八年間、同被告を探し求めてやつとその住所氏名をつきとめた次第である。このような事情で、原告の受けた肉体的、精神的苦痛は甚大で、これを慰藉する額は金一、〇〇〇、〇〇〇円を下らない。

五、よつて、原告は、被告らに対して、各自、合計金五、九九〇、六〇六円およびこれに対する訴状送達の翌日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四、請求の原因に対する答弁および抗弁

一、請求原因一項(一)ないし(四)、同二項中、被告久則吉に過失があつたとの点を除きその余の点を、それぞれ認め、その余の各事実はいずれも否認する。原告は事故車が急停車したため前部座席の背のもたれに顔が当り、上額部の一部に指跡程度の擦過傷を生じたに過ぎない。

二、消滅時効

仮りに、被告久則吉に運転上の過失が存したとしても、被告両名に対する不法行為に基く賠償請求権は、昭和三七年一月二日の経過により消滅時効が完成した。即ち、原告は遅くとも本件事故発生日の翌日である昭和三四年一月二日には、本件事故が被告久の運転により生じたもので、同被告が被告八尾交通株式会社の従業員であり、事故車が被告会社のタクシーであることを知悉していたのであるから、右日時より三年の時効が進行し、本訴提起時には、原告の請求権は時効により消滅しているので、被告らは右時効を採用する。

第五、抗弁に対する答弁

被告ら主張の抗弁事実中、原告において、事故当時、事故車が被告会社のタクシーであることを知つていた、との点を認めるが、その余の事実を否認する。

原告は本件事故により意識が不明となり、自己が乗車したタクシーの運転手が誰れであるか判らず、その後苦労して調査を重ねた結果、昭和四二年六月二〇日に至つて、はじめて事故車の運転手が被告久であることが判明した。従つて、被告久に対する時効は、原告において、被告久が加害者であることを知つた同日より進行し、また、被告会社に対する時効も、原告において、被告会社の被用者である被告久が加害者であることを知つた同日より進行することとなる。よつて、本訴提起の日には時効は完成していない。

第六、証拠関係〔略〕

理由

第一、請求原因一項(一)ないし(四)の事実および二項中、被告久則吉に運転上の過失があるとの点を除きその余の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

第二、〔証拠略〕を綜合すれば、被告久は、本件事故現場である被告会社専用タクシー乗場から、事故車に乗客である原告を乗せたが、同乗場は南向きに停車して乗客を乗せたあと、南側に建物があるので、直ちに西ないし西北方へ急角度に右転回して進行するようになつていたため、事故車を右転回させながら発進したところ、事故車の左後部扉が完全に締つておらず開きかけたので、急遽、急停止したのであるが、折から原告においても扉が開きかけたので、右手で扉を締めようと体を乗り出していたため、急停止の衝撃で、原告の前額部が事故車の扉ないしは車体にぶつかり、挫傷した事実が認められ、右認定に反する〔証拠略〕はたやすく措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。これによれば、被告久は、事故車の扉を完全に締めずに発進し、且つこれに気づくや右方へ急旋回の途中で急停止するという安全運転義務に違反した過失のあつたことが明らかである。これと、前記争いのない事実を綜合すれば、使用者である被告会社および不法行為者である被告久に対し、本件事故による原告の損害賠償請求権が発生したものと認められる。

第三、そこで時効の抗弁について判断する。

一、本件事故発生日が昭和三四年一月一日午前九時頃であること、その当時、原告において事故車が被告会社のタクシーであつたことを知つていたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、(一) 〔証拠略〕によれば、次の各事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果はたやすく措信しがたい。

本件事故現場は、近鉄八尾駅前広場内の被告会社専用タクシー乗場で、同所では他の会社所属のタクシーは客を乗せることができないこと、被告久は、原告が事故車の急停止によつて前額部を受傷したため、同所にかけつけた被告会社の配車係員(氏名不詳)を同乗させ、原告を、事故車で、近所の原田病院へ運び、同病院で治療を受けさせ、約一〇分程度で治療を終えて治療代を被告久において支払つた後、原告方自宅へ送りとどけたこと、被告久は昭和一三年頃から肩書住居地に居住して昭和三九年頃まで被告会社のタクシー運転手として勤務し、その後は個人タクシー営業をなしており、また、原告は昭和二七年頃より肩書住居地に居住し、両住居は同じ町内で約二〇〇メートル程度しか離れていないこと、被告久は近所の風呂屋へ行く途中原告方前を通ることがあり、事故日の翌日である一月二日、被告久は自分の子供を連れて風呂屋に赴く途中原告方前で原告と出合い、右子供が原告からお年玉をもらつたこと、その際、原告において、本件事故の賠償金の支払いを請求するようなことをしなかつたが、昭和四二年八月頃、被告久方を訪れ、その後、同人に対し本件事故についての賠償金の請求をするようになつたこと、原告はその前後頃から家庭の複雑な事情その他からノイローゼとなり、昂じて精神科の病院に入院したこともあること。

(二) 原告は、本件事故の際、意識を失い原田病院に着くまで気がつかなかつたと述べ、また、事故直後より被告会社営業所へ事故車の運転者の氏名を尋ねに行つていたと述べるが、右はいずれも前記認定の事実および被告久本人尋問の結果と対比してたやすく措信できない。

三、右各事実によれば、原告は、本件事故当時、事故車が被告会社のタクシーであり、その運転者が被告会社の従業員で、その運転による事故により損害が発生したものであることを知悉していたものと認められる。ところで、原告は、運転者の姓名が判明せず、昭和四二年六月二〇日に至つてこれが被告久であることを知つたと主張するが、およそ、民法第七二四条にいう「加害者を知る」とは、加害者の姓名まで知ることを要する意味ではなく、賠償請求の相手方が現実に具体的に特定されて認識されることを意味し、従つて、社会通念上、調査すれば容易に加害者(賠償請求の相手方)の姓名、宛名が判明しうるような場合にはその段階で「加害者を知つた」ことになるものと解するを相当とする。これを本件についてみるに、前記のとおり、事故車の運転者の職業、勤務先は一見明瞭で原告においてこれを知悉しており、その上、被告久が事故直後に原告を病院へ運んだのち原告宅まで送り届けていることや、同被告と原告の住居が近接しており、事故日の翌日に原告方前で両名が顔を合わせているというのであるから、原告において賠償請求権を行使しようと思えば、直接氏名を尋ねるなり、運転者の勤務先や近隣を調査することにより、特別の努力を要することなく比較的容易にその姓名、宛名が判明しうる状況にあつたと認められるので、そうならば、原告は、事故当日において、加害者を現実に具体的に認識していたものと認めるのが相当である。

四、以上によれば、原告は、被告久については、右のとおり、その姓名は判然としなかつたとしても、加害者(不法行為者)として現実に具体的に認識していたものであり、また、被告会社については、前記認定のとおり、本件事故当時、運転者の姓名は判然としなかつたとしても、被告会社の被用運転者が被告会社のタクシー運転業務中に本件事故を発生させたものであることを原告において知つており、且つ右のとおりその運転者が特定して認識されていたものである以上、同日、被告会社が賠償請求の相手方(使用者)であることを認識しえたものと認めるのが相当である。

第四、従つて、原告は、本件事故当日、「加害者」(不法行為者および使用者)を知つたものというべく、また、原告が、同日、本件事故により損害が発生したことを知つていたものであることは前記のとおりであるから、以上によれば、本件事故による損害賠償請求権は、原告が損害および加害者を知つた日の翌日である昭和三四年一月二日から起算して三年を経過した昭和三七年一月一日の満了とともに消滅時効が完成したものというべきであるところ、原告が本訴を提起した日が昭和四三年一一月二七日であることが記録上明らかであるから、原告の損害賠償請求権は時効により消滅していることになり、従つて被告らの前記時効の抗弁は理由がある。

第五、そうならば、原告主張のその余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉崎直弥)

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